• 学会活動

ランニング・カフェ

第5話 呼吸筋のトレーニングの必要性

山地啓司(初代ランニング学会会長)

1923年アメリカのゴルドンらはボストンマラソン直後のランナーの努力性肺活量が17%低下するのを、また、スイスのハグらは(1928;1929)2回のスイスマラソンで調査を行いそれぞれ16%と18%の低下を認めた。しかし、その当時ノーベル賞受賞者で近代運動生理学の創始者とみなされていたイギリスのA.V.ヒルが、持久性の能力を決めるのはからだの中に最大どれだけの酸素を取り込むかが特に重要で、その制限因子は心臓・血管系(心拍出量や血液成分など)にあると主張していたことから、研究者仲間から重要視されなかった。

その後約60年経過した1980年後半から、呼吸筋の重要性を指摘する声が徐々に高まってきた。その中心となったのがウィスコンシン大学のデンプセイと南アフリカ大のノックスの研究グループである。彼らの研究の結論は、ランニングのスピードが高まるにつれて呼吸を通してからだに酸素を取り込む能力(酸素摂取量)、心臓から送り出す血液量(心拍出量)や活動筋への血流量が高まるが、exhaustion近くになるにつれて徐々に増加率が低下し定常状態になる。

一方、呼吸によって肺に取り込まれる空気の量(肺換気量)はある強度以上(呼吸性作業閾値)になると呼吸筋の活動水準が一層高まり、過呼吸現象が現れる。exhaustion頃には呼吸筋で使われる酸素消費量は最大値の14~16%にも達する。(ちなみに、過呼吸現象が現れ始める頃に呼吸筋に使われる酸素消費量はその時の酸素摂取量のわずか4%である)。

酸素摂取量の増加率に定常状態が現れる頃の呼吸筋への血液量や酸素供給量の高まり(増加分)はどこからくるのであろうか?それは本来活動筋である脚に流れるはずの血液や酸素が呼吸筋の増加分を補うために優先的に廻されるためではないかとみなした。

ノックスは、心臓から組織へ配分される血液には優先順位があり、生命維持のために最も重要な心臓へはそれなりに保証されている。さらに肺臓へは、呼吸筋の活動水準(仕事)に応じて心臓に続いて優先的に血液が送られる。そのため活動筋である脚部への血流量や酸素供給量が相対的に減少する、と説明した。ちなみに、デンプセイは、exhaustion近くの血流量の配分は活動筋である脚筋が約77%、呼吸筋が約14~16%、その他への器官が約7~9%と推定している。

これまでの呼吸筋に関する研究やレビューから次の点に概ねコンセンサスが得られている。

  1. 運動中に呼吸抵抗を高めると呼吸筋の血流量が増加し、脚筋への血流量や酸素供給量が減少する。逆に、呼吸抵抗を軽減すると脚筋への血流量や酸素供給量が増加する。
  2. 運動前にあらかじめ呼吸筋を疲れさせると、呼吸筋の活動水準(肺換気量)が早く高まる。従って、脚筋が早く疲れパフォーマンスが低下する。
  3. 呼吸には腹式呼吸と胸式呼吸がある。前者で使用する主要な筋肉である横隔膜の疲労は胸部の呼吸筋(外肋間筋、肋間挙筋、内肋間筋等)よりも比較的早く現れる。そのため、exhaustion近くでの過呼吸は胸部の呼吸筋の相対的仕事の高まりに依存する。
  4. 呼吸筋のトレーニングは、呼吸筋の筋力と持久性能力に好影響を与える。呼吸筋の筋力の高まりは最大吸気量や最大呼気量を高め、肺活量を高める。また、呼吸筋の持久性能力の高まりは肺換気能の維持能力を高める。その結果パフォーマンスが改善する。

その他、次の点が推測されている。

  1. 特に、呼吸筋の筋力トレーニングは400~5,000mのレースの、また、呼吸筋の持久性のトレーニングは10,000m以上のレースのパフォーマンスを高めるのに有効である。
  2. 高所では呼吸筋の活動水準が低所に比べ高いため、呼吸筋のトレーニングに効果的である。(東アフリカの高地民族の呼吸筋の強さは格別である)。その時、最も望ましいトレーニング方法はインターバル的に、最大酸素摂取量の80~85%で行うことである。
  3. 呼吸筋トレーニングの効果はこれまでのトレーニングの成果の程度に影響を受けるので、個人差が大きい。

<< 第4話 頑張るこころと頑張れるからだ

第6話 スポーツは感性を磨く >>