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ランニング・カフェ

第6話 スポーツは感性を磨く

山地啓司(初代ランニング学会会長)

先日文部科学省から全国小中高校などのいじめに関する2014年の調査が発表され、現場の先生方や教育関係者の努力にもかかわらず、一向に減らない事態が浮き彫りになった。思い出すのは、2015年7月に岩手県で中学2年生の男子生徒がいじめを苦に自殺した事件である。これまでもいじめの問題は数多くあるが、その要因は必ずしも一致しない。ある時は、学校側がいじめを感知していなかったこともあれば、感知していても適切な対策・処置が取られなかった場合など、それぞれ異なっている。

岩手県の中学の場合は、生徒の生活記録ノートにいじめに苦しむ心情が時系列に書きつづられ、自殺の可能性までほのめかされていたにもかかわらず、なぜ適切な対応が十分とられなかったのか悔やまれるところである。事後の調査委員会は「いじめが一因であった」と結論し、具体的内容が明らかにされないまま情報が途絶えてしまった。

もし担任の危機意識の低下が原因とするならば、それはなぜだろうか。ある教育評論家は教員の職務が多岐にわたり、時間的に余裕がなくなったことを挙げている。新任教師を数多く受け入れている私の友人のベテラン高校体育教師は、新任教師を評して、「最近は、 とみに(または頓に)“危ない新任教師”が多くなっている」と言う。

“危ない”という言葉の中にはいろいろな意味が含まれている。それには、a) 教師としての自覚がない点、 b) 生徒よりも自分を第1に考える、c) 自分以外の他人や事象にあまり興味を示さない、d) 授業以外のことについては生徒自身あるいは保護者が対応すべきだと、考えている、ことなどが考えられるが、煎じ詰めれば教師としての素養や姿勢に欠けるということである。今回の担任の教師だけでなく、現代の若者に共通する危うさが事件の背景にあるような気がする。

それは他人や社会に対して感性が乏しくなったことである。例えば、現代の生活の中では、対面式コミュニケーションが減少し、機器を通してのコミュニケーションが増えている。対面会話では、言語(言葉)だけでなく非言語(表情、姿勢や態度、ジェスチャーなど)を同時に観察しなければならない。日常生活で得られる情報の約85%が非言語的コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)によるもので、言語的コミュニケーションによるものはわずか約15%に過ぎない。

アメリカ国民が大統領を選ぶ視点は見た目が55%(身長や容姿など)、声調が38%(自信に満ちた声の張り、説得させる抑揚やテンポなど)、演説の内容はわずか7%に過ぎない(メランビンの法則)。すなわち、ヒトがいかに非言語を中心に物事を判断しているかの一端を示している。

また、近年のテクノロジーの急速の発展によって通信機器の開発が進み、言語や映像によるコミュニケーションが増え、同時に非言語によるコミュニケーションが減少し、総体的なコミュニケーションの機会が大幅に減少している。ラマルクの「使われる器官・機能は強化・発達し、使われない器官・機能は退化する」の法則に従うと、その影響は、発育盛りの子どもや若者に深く潜行・進行していると思われる。

最近、安全安心と言う言葉をよく耳にする。(安全とは物理的状況であり安心とは心理的問題である)。東日本の大震災までは原発は「安全である」と強調・連呼され人々はそれを信じ安心していたが、一度事故が起きると信頼性が一挙に崩れ去り、その後いくら安全だと言われても、素直に安心だと信じるわけにはいかない。そのため、原発の再稼働の新規制基準が以前に増して厳しくなったにもかかわらず、ヒトを安心させることができずに原発の再稼働を難しくしている。

人々は体験して初めて真理を学ぶ。最近の子どもや若者は生活の中で数多くの情報機器を通じて知識として理解できても、実際に体験して物事の本当の姿を知る機会が少なくなったため、何が安全で何が危険であるかがよく判らないのではないだろうか。

そこで静岡大の村越教授は、教員を目指す学生達ですら、種々の場面や状況下で何がハザード(危険因子)であるか、どんなリスクが起こり得るのかが十分理解できていないので、授業の中でいろいろな場面・状況を絵に描き(例えば、キャンプでの炊飯や登山中の状況など)、どんな状況(点)にハザードが潜んでいるか、どんなリスクが生じる可能性があるのかなどを指導している、と言う。

教師になろうとする学生が、日常の身の回りに存在する安全な物理的環境や状況を十分理解・体験していないとするならば、教師となって児童や生徒の表情、姿勢、態度、行動などに現れる非言語的危険信号をどれだけキャッチできているか推して知るべし、である。

ある箱根駅伝の常連校の監督が、「チームの中で最も早く一流企業に就職が決まるのは、選手よりもマネージャである。」と言う。考えられるその理由は、選手と違ってマネージャは、まず監督や選手が今何を考え、自分に何を期待しているのか、日々刻々変わる状況の中で敏速に行動しなければならない。すなわち、状況を判断しながら素早く対応できる行動力を企業人は評価している、と考えられる。

前回も述べたように、集団スポーツではマネージャだけでなく選手もフィードフォワードの能力は磨かれる。研ぎ澄まされた他人のこころを読む能力(フィードフォワード)はチームの全体にアンテナを一杯張り巡らせ、言語的だけでなく非言語的な情報を、知識でなく感性や時には反射的に認知することができるまでに昇華されているように思える。

マネージャの素晴らしさは己の能力を知り、チームの中に自分の位置や任務がしっかりと認識されているところにある。それだけ、チーム全体に“目配り、気配り、心配り”ができるのであろう。

スポーツを行うことや指導することは、感性を鍛えることにつながる。

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