学会活動

ランニング・カフェ

第9話 ドーピングは科学の冒涜である

山地啓司(初代ランニング学会会長)

2014年8月英国の新聞サンデー・タイムズは世界の陸上界に蔓延するドーピング疑惑の現状、特にロシアのスポーツ界では組織的にドーピングが行われている実態を糾弾した。その報道はリオ五輪を来年に控えて、世界のスポーツ界を揺るがすまでに発展している。

ドーピングが世界のスポーツ界に登場したのはローマ五輪(1960)の自転車100㎞ロードレース中にデンマークの競技選手が突然死した事件からである。しかし、事件の背景が明らかになるにつれ、この事故は氷山の一角であり、すでにスポーツ界全体にドーピングが蔓延している事実が明らかになった。それ以降、世界のスポーツ界は組織的に反ドーピングを訴え関係者を罰してきた。かつて社会主義国家で行われていた組織的ドーピングが是正されたと思われていたが、今なお古いしきたりの中で組織的にドーピングが行われていることが明るみになった。

今日ドーピングに用いられる薬物は筋肉増強剤(テストステロン、オキサンドロロンなど)と増血剤(エリスロポエチンなど)に大別される。例えば、1988年ソウル五輪の100mでベン・ジョンソンが服用したのは前者であり、ツールドフランスに7連勝したアームストロングが服用したのは後者である。これまでも実に多くの世界のトップ競技選手がドーピング疑惑によって世界の陸上界から追放されてきた。にもかかわらずなぜスポーツ選手はドーピングに走るのであろうか。

スポーツ界には古くから“審判にばれなければ何をやってもいい”、と考える風潮がある。ボールゲームではフェイントを使って相手をいかに欺くかが勝敗を分ける。そんなこともあり、昔から競技者にはスポーツ中だけでなく、生活の中においてもスポーツマンシップの精神が求められる。裏を返せばスポーツ選手にはスポーツマンシップの精神が欠如していることを暗に示唆している。

特に現在のように、五輪や世界選手権でメダルを取ると社会的賞賛や高額の報奨金がもらえ、マスコミに乗り名前が売れることが人生のステップアップにつながることから、どんなことをしてでも勝ちたい、メダルを取りたい一念が禁断の実に手を染めることになる。出典はわからないが世界のトップ選手を対象にしたアンケートでは、「五輪で金メダルを保証するが、服用後5年後に死ぬこともあるとすればあなたは服用しますか?」、という問いに対して、過半数が「イエス」と答えた、という。ソウル五輪のレース後マラソンの中山が「メダルを取れなければ4位もビリも同じだ」、とマスコミを前にして述べた言葉が選手の心情を代弁している。日本では「勝てば官軍、敗ければ賊軍」の精神が日本人の行動規範の中に脈々と受け継がれている。スポーツ選手も同じである。

ドーピングには、①薬物ドーピング、②血液ドーピング、③遺伝子ドーピングがある。その中で、アンチドーピング機構がドーピング違反をチェックできるのは、おもに①であり、他の2項目は証拠をつかむのがなかなか難しい。血液ドーピングは一時、選手の身体から約1Lの血液を抜き取り、機能を失わないように冷凍保存し、身体に血液が元の状態までに回復した数週間後に再注入する方法である。ミュンヘン五輪(1972)とモントリオール五輪(1976)の2大会で5,000mと10,000mの2種目に金メダルを獲得したフィンランドのラッセル・ビレンが血液ドーピングをしているのではないかとうわさが広まった。

ヨーロッパでは各国で開催される陸上競技大会に自由にエントリーできるので、今季は誰が強いとか、あるいは、おおよその予想順位までが選手間で判断されている。ところが、ビレンは五輪開催年でも欧州の大会に中位入賞しかしていないのにもかかわらず、五輪では圧倒的強さを示すことに選手達の中に、ひょっとすると血液ドーピングを行っているのではないかとの疑念を呼び、まことしやかにうわさが広まった(それに対して、五輪組織委員会は「白」と結論した)。

伏線は、当時北欧では血液ドーピングの研究が行われており、1971年にはスウェーデンのエクブロム博士の研究グループが、血液ドーピングによって長距離のパフォーマンスが改善すると発表していたことである。彼が4年ごとにみせる他を圧する強さと血液ドーピングの研究報告がだぶって考えられたのである。ビレンはモントリオール五輪後もヨーロッパの大会で際立った活躍もなく競技会から去っていくが、血液ドーピングを使っていたのではないかと言う疑念は、今日も血液ドーピングの話が出る度に話題に上がる。その後血液ドーピングの使用がルールとして禁じられたが、実際にどの程度地下で進行しているかについは誰も真理を把握していない。

進行形か未来形か定かでないが、遺伝子ドーピングが可能な水準までに達している。一口に言えば、遺伝子ドーピングは遺伝子治療を悪用したものである。個人の遺伝子には人それぞれの設計図が描かれている。もし、この設計図に異常が発見された場合、正常な遺伝子の設計図に書き改めるのが遺伝子治療である。すでにマウスから人体実験に移行している。

スポーツ界で危惧される遺伝子ドーピングは、その設計図にスポーツのパフォーマンスを高めるホルモンを書き加えればよい。例えば投てき選手ではより多くテストステロンを分泌させ、マラソン選手にはエリスロポエチンを分泌させるように書き改めればよい。唯リスクはある。最も恐ろしいのは体細胞の遺伝子の書き換えは一代しか続かないが、生殖細胞への遺伝子書き換えに及ぶと人間らしからぬ人間が地球上に生まれる可能性や危険性が高まる。その意味では遺伝子の書き換えは科学あるいは人類への冒涜である。その時が近づいていることは否定できない。これからは、スポーツ界により高等な倫理規範が求められると同時に、遺伝子科学に携わる研究者は、それ以上に人類の将来に対して責任を持たなければならない。すでに、スポーツの将来はそれらの研究者に握られているかもしれない。