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ランニング・カフェ

第16話 心身はゆらいでいる(1)

山地啓司(初代ランニング学会会長)

科学に求められる再現性は変動係数によって統計的に明らかにされ、それは標準偏差(SD)を平均値で割った商で求められる。物質科学の再現性は限りなく100%に近い。それに対して生命科学の再現性は80~90%以上であれば大方認められる範囲である。その主な原因は生体が環境の影響を受け絶えず揺れ動いているからである。

かつて、ベルナールは、「ヒトのからだは外部環境が変化しても、体内環境を常に一定の状態に保つ」と述べた。しかし、実際には小宇宙と呼ばれるからだは外界の変化や刺激(影響)に対して絶えず反応し、一定の範囲内で変動(ゆらぎ)している。キャノンはこれを“ホメオスタシス(動的平衡)”と呼んだ。このホメオスタシスは神経性(自律神経)と体液性(ホルモン)によってコントロールされている。もう1つの生体変動(リズム)に経時的変動、例えば、24時間周期で変動する性質、サーカディアンリズムがある。これは地球の自転に伴う時間と体内時計に伴う変動である。これらの変動は環境リズムと密接な関係を持つ生体の規則的リズムである。このリズムの特徴は振幅が大きいことである。それに対して“ゆらぎ現象”と呼ばれる変動は不規則的で小さなリズムである。

かつてガリレオは天上から吊るされたシャンデリアの揺れの周期を見て、自分の頸動脈上に指を当て脈(時計代わり)を測ることによって“振り子の等時性”を発見した。これは飽くまで逸話であろう。なぜなら、脈拍(RR間隔)の所要時間は1拍1拍変動しているからである。心臓の拍動(心拍)は約1万個の細胞の集合体(洞結節)から規則的にインパルス(電気信号)が発射されることによって機能し、また同時に、自律神経(交感神経と副交感神経)の支配を受けている。従って、心拍(RR間隔)の周波数分析を行うことによって交感神経と副交感神経のかかわりの程度を知ることができる(『こころとからだを知る心拍数』杏林書院)。この手法は医療分野では種々の疾病の診断や治療に幅広く応用され、またスポーツの分野では日常の疲労の程度の把握やオーバートレーニングの早期発見に応用されている。仮に、1RR間隔の所要時間から1分間の心拍数を換算する方法で、50~100拍を1つずつ計算して、その値(心拍数:拍/分)を棒グラフ(タコグラフ)で表すと、健康な者の心拍数はのこぎりの刃のようにギザギザした凹凸が現れ、オーバートレーニング症状の者では凹凸がほとんどみられない。すなわち、この心拍の凹凸、いわゆる心拍の“ゆらぎ現象”が大きいことは、からだが正常(健康)に保たれていることを示唆している。その他、眼球の激しい速い動き(眼振)は物象の奥行き、例えば、円か球かの判断を可能にし、また、睡眠時にみられるREM睡眠中の激しい眼球運動や頻度の高い寝返りなどの動きは心身のストレス解消に貢献する。

このように生体が持つリズムや揺らぎは心身に生気と潤いを与え、生命活動を豊かにする。しかし、私生活はそれに逆行する。何時に起き、何時に勤めに行き、何時に帰ってくる等々・・・。気が付けば家と勤務地の振り子になり、時間の奴隷になっている。妻からは、何時に帰るのかと尋ねられる。「先のことはわからない」とささやかな抵抗をすると、「待つ身にもなって・・・」と応じられる。亭主と言うものは所詮、妻というお釈迦様の掌の上で空威張りする孫悟空である。食事をすれば1日何種類の食物をとらなければならない。トレーニングすれば筋トレは筋肉でなく筋線維を考えながら、重りをいくらにして休みを挟みながら何回、何セットするなど方法論やスケジュールに縛られる。病院へ行く度に血液を取られ、血液のさらさら度を1.7以上に保つために食後何錠飲みなさいと薬が処方される。いつしか食後のデザートはクスリとなる。科学が進歩してくると、“科学的根拠”、“客観的合理性”と言う言葉が重くのしかかってくる。誰かのように、「自由を、さもなくば死を」と叫びたくなるのだが、さりとてそんな度胸もなし。周囲の言葉に羊のように従順に従っているうちに身動きができないほどがんじがらめに縛られている。

物理学者の増山元三郎は、「T字型の迷路の左右に等間隔に等質・量のエサを置くと仮定する。1匹のネズミがその岐路に立ち必然性(合理性)の法則に従って進むべき道を選ぶとすると、ネズミはどちらの道も選択できず餓死することになる。生きるためにはいい加減さ(randomness)が必要である」と述べている。また、リード大学のボーグは『ランダム性と20世紀の文明』の中で、「従来の物理学はもっぱら自然法則の中から偶然的な(デタラメ性)現象を取り除こうとした。しかし今日の物理学は逆に偶然的な現象を自然の一部として受け入れ、“不確実性の原理”を発展させている。」これらは人間の実社会に必然性と偶然性、秩序と散逸(無秩序)等の相反した事象が適度に混在することの必要性を主張した事例である。

ラスベガスは砂漠の真ん中にカジノを意図して人工的に作られた都市である。確かに最初はカジノの街として世界に知られたが、現代のラスベガスはカジノ一辺倒から脱皮して科学的粋を集め先端科学技術をふんだんに駆使した近代都市に変貌した。今日では内外から1日約10万人を超える観光客が訪れる世界有数の観光地に成長した。なぜこれほどまでに殺風景な砂漠の都市に人々が魅力を感じるのであろうか? 普段の生活が普遍的な必然性に基づく高度管理社会なので、それと対照的なランダムネス(デタラメ性)と言う「矛盾の多様性」が適度に混在した都市が持つ適度な緊張と弛緩、確実性と不確実性、運と不運が人々のこころとからだを癒やしてくれるのであろう。

科学が進展し、文明や産業が発展し、高度な管理社会が形成されるにつれてすべてが秩序化される。そんな社会環境の中で緩衝的な役割をはたすのが「適度な無秩序(不透明性、不確実性、デタラメ性等)であり、そのメカニズムである「ゆらぎ現象」が心身の疲れやストレスを癒してくれる。

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