学会活動

ランニング・カフェ

第17話 心身はゆらいでいる(2)~パフォーマンス(記録)~

山地啓司(初代ランニング学会会長)

前回述べたように、心身には小さなゆらぎと大きなゆらぎがある。その中でスポーツのパフォーマンス(記録)を左右するのは大きなゆらぎである。

パフォーマンスのゆらぎを確かめるために次のような実験をした。大学長距離選手(9名)を対象に8~13回、各自の一定のスピード(vVO2max)でのランニングの持続時間(all-outテスト)を測定した。実験は環境の影響をできるだけ避けるために室内に設置されたトレッドミルを用い、室温を20℃、湿度を50%にコントロールした。さらに、サーカディアンリズムの影響をできるだけ除くために毎週同じ曜日の時間帯に、また、その日の体調に合わせるために毎回vVO2maxを測定した後、all-outテストを実施した。

その結果、持続時間の変動係数(標準偏差/平均値)×100)は個人によって大きく異なり、その範囲は9.5~32.9%になった。この個人の変動係数と生理的要因との間には関連性が認められなかったが、基本的な5つの性格要素(外向性、協調性、勤勉性、情緒安定性、知性)の中でも情緒安定性だけが持続時間の変動係数と密接な関係(r=0.77)がみられた。すなわち、情緒が安定している者ほど変動係数が小さく、逆に不安定な者は変動係数が大きいことを示した。さらに、一定スピードでの持続時間のゆらぎが性格的な要素に負うことが明らかになった。

このような再現性テストは環境変化の影響を限りなく少なくするために、実験室に備えられたトレッドミルを用いてパフォーマンステスト(持続時間)を行うが、約10回のテストの変動係数は個人によって10~35%の幅があった。そこで、トレッドミルにおける一定ランニングスピード(vVO2max)の持続時間とほぼ同じ所要時間である1,500mのタイムトライアルをグランドで日を改めながら 7~10回(6名)実施すると、その変動係数は1~4%とトレッドミルに比べるとはるかに小さくなった。その変動係数は例え1人(単独走)であろうが2人(複数走)でタイムを競うようにしても差はない。(ただし、記録は後者が前者に比べ6秒速くなる)。

グラウンド走では日によって環境やグラウンドの条件が変わるが、それでもトレッドミルで測定したパフォーマンステストに比べはるかに変動係数が小さい(安定している)。その原因にはトレッドミル走では持続時間のゴールが特に決まっておらず、いつ運動を中止(exhaustion)するかは個人の主観的判断にまかされるため、個人の性格的特徴が現れてきたと考えられる。もう1つは主体がグラウンド走ではランナーであるのに対して、トレッドミル走では機械の側にある。そのため、ヒトは機械の一定のペースに自分のリズムを合わせなければならない心理的負担や束縛感が疲労を早めたり、あるいは単調さによる飽きが頑張る意欲を萎えさせたのかもしれない。また、ヒトが持つ走るリズムやランダム性と不適合が生じるからかもしれない。

一方、グラウンドでのタイムトライアルではゴールが明確であるので、残りの距離を考えながら自分でリズムやペースを調整しながら走ることができる。ケープタウン大学のノックス(Noakes,T)は、「ランニングペースを決定するのは大脳である。活動筋(心肺機能や脚筋)からの情報が求心性神経を介して逐一大脳に送られ、大脳はからだの疲労度と残りの距離を勘案しながら最善のペースを構築している」、とヒトのからだの素晴らしさを強調している。

スポーツトレーニングを専門的に始めた頃には記録が順調に伸びるが、同時に好・不調による記録の波も大きい。しかし、5年、10年とトレーニングを積み重ねるにつれて徐々にその伸びも小さくなり、それに伴って気象条件や好・不調等による記録変動も小さくなり、安定してくる。その頃になると選手は他人に言われるまでもなく自分の限界を感じるようになる。すなわち、トレーニング初期には変動係数は大きいが、競技生活も晩年に近づくと変動係数が小さくなる.この現象は長く競技を続けた選手にみられる宿命的な現象である。

一流のランナーの記録が安定した頃の変動はどのようになっているのだろうか.例えば、全日本ICの800m(1’51”10)に入賞した経験のある学生が、30日間毎日同じ時間帯に800mのタイムトライアルを行った(ただし、その中、台風の影響を受けた1回の記録は統計的に棄却されたので計29回を分析の対象とした)。平均タイムと標準偏差は1’57”4±1.6秒、その時の変動係数は1.3%であった。ちなみに、800mの決勝の記録の変動係数は1年次(8回)に1.3%、2年次(9回)に1.4%、3年次(10回)に0.8%と気象条件に左右されながらも安定した変動係数を示した。

さらに距離の長いマラソンの記録のゆらぎはどの程度であろうか。例えば、ローマと東京五輪のマラソンに世界記録を更新し、しかも、金メダルを獲得したエチオピアのアベベは生涯15回マラソンを走り(2回途中棄権)5位の1回を除き1位12回と、歴代のマラソンランナーの中で最強のランナーであった。高所でのレースを除く低所の大会の11回に限定するとその変動係数は3.5%である。速いランナーと言うよりは強いランナーの印象が強いF.ショーターは、生涯マラソンの出場が16回、その中2回が途中棄権、統計的に外れ記録を除くと9回の記録が残る。その9回の変動係数は0.67%となる。予想通り安定度No.1となる。

また最近では2度世界記録を更新したエチオピアのゲブレセラシエは18回のレースに出場し、その中途中棄権の5回、最初のレース1回、及び統計的に棄却された1回(2:09:05)の計7回を除く11回の変動係数は0.95%となる。42km余りを走ってレースごとに変わる気象条件やコースの中で約0.5~3.5%と言うのは安定した記録と言える。ゲブレセラシエは12回の中1位が9回。これは今日の高速のレースでは最強のランナーと言える。しかし、18回のレース出場に対して5回の途中棄権があり、その中4回が最後の5回のレースに含まれ、マラソンランナーの末期は故障との戦いであったことが伺える。この現象は多くの選手にも当てはまる。例えば、アベベは最後の2回のレース、藤田敦史は最後の3回の中2回、高岡は最後の1回、犬伏孝行は最後の7回中5回を途中棄権している。

このように、心身には大小のゆらぎがあり、体調に変化がある。それはスポーツのパフォーマンスに表れてくる。さらに、屋外のスポーツでは環境の影響を避けられないが、それでも一流ランナーの変動係数は0.5~3.5%と著しく安定している。そんなランナーたちも、晩年には途中棄権することが多くなる。この傾向も、ある意味では安定した結果といえようか。