学会活動

ランニング・カフェ

第19話 現代は正確に「測る」ことがむずかしくなった

山地啓司(初代ランニング学会会長)

今日の科学技術の進歩は著しい。かつて自動車はボンネットを挙げると機器の間から大地が見えた。それだけ車の構造がよく見え、車の原理がよく理解できた。カナダに住んでいる頃、運転免許を取りポンコツ車を買ったが、車検のない国だからしばしば故障した。その度に自分で修理しなければならなかったが、車の動力系や電気系統は私でもおおよそ理解でき、修理もそんなに苦労しなかった。ところが排気ガス規制が取り入れられるやボンネットを挙げると理解できない機器が所狭しと広がり、もう真上から大地は見えなくなった。

さらに科学が進歩し、近い将来、運転者はエンジンをかけたり止めたりするだけで自動車自身が自動運転する、正に自動車になる時代がきそうである。こうなると、ほとんどの者は、自動車の構造について完全に無知になってしまい修理どころではなくなるであろう。

つい50年前は体力を測る際には、巻尺で距離を測り、時計で速さを測り、天秤で重さを測った。とにかく、可視化されていた。ところが近年、テクノロジーの発達によってデータがより正確性、即時性、簡素化され、非可視化されてきた。それにつれて得られた数値はただ信用せざるを得なくなり、同時に数値に対して自信や責任が持てなくなった。今は形態を測るのに、体重は体重計に乗るとデジタル式で数字が即座に表示され、体脂肪率も表示されるものがある。身長は身長計の台の上に上がり姿勢を正してボタン一つでカーソルが下りてきて、身長が表示される。便利になった。しかし精度は機器任せの感がある。

文科省の体力テストで握力計が使われているが、全国の小・中・高校で握力計を使う前にどれだけの学校がキャリブレーション(検定)しているだろうか。かつて、小・中学校(約20校)で使われている握力計や背筋力計が正しい値を出しているかを調べたことがある。握力計では約±5kg 、背筋力計では約±10kgの差があった。ただ不思議に、出された値を統計的に処理して真値と比べてみると、プラスとマイナスがうまく絡み合って有意な差がない程度にほぼ真値に近くなった。

各家庭にはヘルスメーターがあるが、正確に体重の真値が表示されているか否かは判らない。購入して日が余りたっていないと正確な値を表示していると思い、月日が経ってもその思いはそれほど変わらない。形態や体力測定は現状を知るだけでなく、定期的に測りその変化を見るものである。そのためには再現性(精度)が高くなければならない。体重変化を細かく調べようとする時には、体重計が正確な値を表示しているか否か時々キャリブレーションを行わなければならない。

最近のテクノロジーの発達は、測定機器を使う運動生理学の分野でも多大の恩恵にあずかっている。ただ使用する機器が便利になり過ぎてその正確性をチェックする(キャリブレーション)ことが難しくなってきた。心配性のためか、どんなに高価な機器でも出てきた値に一抹の不安を感じることがある。かつて最大酸素摂取量を測定するためには、呼気ガスはダグラスバッグに集められ、酸素や二酸化炭素はショランダー(分析器)で測定された。いずれも視覚化され、出された値の精度にはそれなりに自信がもてた。ところが20~30年前から全自動代謝測定器が使われはじめ、実験が終われば即座にデータが出てくる。正に夢のような時代になった。

一方でその値が正しいか否かを正確にチェックすることが難しくなった。最近あった話であるが、あるセンターで古い全自動の代謝測定器を新しい機器に買い改めた。そのセンターでは子どもたちの体力や運動能力が日々のトレーニングによって順調に強化されているかを評価し、指導者にフィードバックするのが主な仕事である。ところが、新調された機器で得られたデータに感覚的に誤差があると思われて、業者に来てもらいチェックするとコンピュータのソフトに誤りがあることが明らかになった。2~3か月後再びセンターを訪れ測定したデータを観ると、まだ数%、値が低く感じられたので、再度業者にチェックをしてもらうと、今度は「部品の一部に調子が悪いものがあったので新しい物に取り替えた」という。

業者に「もう大丈夫です。」といわれても、にわかに信用ができない。さて、どのようにチェックするか、それを確かめる機器や具体的方法に苦労した。かつて使っていたダグラスバッグにガスメータで測定された空気を、全自動のガス分析器に通して正しく量を示すか確認したところ、ガス量(吐き出された空気量)に約2%の誤差があった。(この誤差は蛇管を通したために生じたことが後で判明した)。次はO2濃度が正しく表示されているか否かのテストであるが、かつて使ったショランダーや労研式ガス分析器が今はない。そのため、検定ガス用のボンベ内のO2濃度で確かめるしかない(厳密には、検定ガス用のボンベのO2やCO2ガス濃度は時間とともに変化する)。

かくして、約500万円もする新しい機器でも精度をチェックしなければならないことを知った。と同時に、それを確かめる術が非常に限られることを認識した(ただ、問題は業者だけでなく、「マニュアル通り測定しているので誤りはない。」と、胸を張ったセンター職員にもある)。

ある大学で大学院生が乳酸を測定している。ある者は人差し指から、ある者は中指の指尖からで採血している。かつて私は初めて採血する時、他人様の体に傷をつけるのだから少なくとも痛くない所(指尖か耳朶)で採血しなければならないと思い、自分の手の5本の指で何度もチェックし、薬指が一番痛くないことを確かめた。それ以来、もう何十年も薬指から採血している。

テクノロジーの発達は我々の研究の範囲を広げ、検者が少なくてすみ、実験が終われば即座にデータが出てきて、しかも統計的計算も簡単にできるようになった。便利になればなるほど測定されたデータに自信が持てなくなってきた。

私の時代は疑うことから実験を始めたが、今の院生たちは信じることから実験を始める。これも時代の流れだろうか。