学会活動

ランニング・カフェ

第58話 スポーツ科学は後追い科学か?

山地啓司(初代ランニング学会会長)

大学院でレポートを課したところ、ある院生が、次のようなレポートを提出した。

私は数字に表れたデータのみが信頼できる真理だと思っていた。しかし、かつて研究者たちは、酸素ボンベなしにエベレスト登頂が不可能だと言っていたが、 1978年に人類が初めて酸素ボンベなし(無酸素)で登頂に成功することによってその常識が覆された。また、ヒトの素潜りの限界は水圧による肺の容積が残気量とほぼ等しくなる水深の約30mだと考えられてきたが、1976年フランスのマヨールが 約100mの潜水記録を打ち立てたことでその常識が完全に覆された。その度に、その原因解明のために科学することが始まった

すなわち、彼は、スポーツ科学は “後追い科学”であると指摘したのである。

この指摘に応える前に、彼が例として挙げたエベレスト登山に関する科学と実践(小史)について調べてみた。エベレスト(8,848m)登頂の歴史は1921年に英国の登山隊が挑戦したことに始まる。それ以降7度挑戦したがいずれも8,000~8,500mで下山せざるを得なかった。この原因は極度の酸素不足と寒さによる心身の疲労にあった。現代の運動生理学の礎を築いた当時の著名な運動生理学者たち(マルガリアやヘンダーソン)は8,000~8,500mに低酸素環境に対する人間の適応限界があり、頂上に登りきるためには最後の300~350mは酸素ボンベの力を借りなければ難しい、とみなした。

第2次世界大戦後再びエベレスト登頂への挑戦が始まり、1953年英国の登山隊のヒラリーとシェルパ(登山ガイド)のテンジンが酸素ボンベを用いて人類史上初めてエベレストの頂上に立つ快挙を成し遂げた。生理学者のピュー博士は英国隊の4名の最大酸素摂取量(VO2max)の平均が51.6ml/kg/minと予想外に低いことを認めた。その後世界の登山家が酸素ボンベを用いて登頂に成功した。最初の登頂に成功してから25年が経過した1978年に、イタリア人のメスナーとオーストリア人のハーベラーという2人の登山家が科学者の定説を覆して、酸素ボンベなしで(無酸素)、しかも強風が吹く中エベレスト登頂に成功した。その快挙が起爆剤となって、同年、標高世界第2位のK2(8,611m)と、翌年には、世界第3位のカンチェンジュンガ(8,598m)などで、人類は相次いで無酸素登頂に成功した。

さらに、1980年にメスナーは2回目の無酸素エベレスト登頂を成し遂げた。その直後に生理学者のバスカーク博士は、メスナーのVO2maxが77~81ml/kg/min以上あるに違いないと予測したが、1986年に、スイスの医師オエルズがメスナーのVO2maxを測定したところ、バスカーク博士の予想に反して49ml/kg/minしかなかったことを発表した。この値は1953年に登頂に成功した英国隊の4名のVO2maxの平均値と近似したことから、研究者たちは、酸素ボンベなしで無酸素登頂に成功するまでの25年間に登山用具の改善や登山方法が大幅に進化したことが無酸素登頂を可能にした、と説明した。しかし、ネパール人のポーター(荷物運び人)のVO2maxが80ml/kg/minを超えたにもかかわらず、なぜ一流登山家のVO2maxが45~60ml/kg/minとダンスや体操選手並みに低いのかについては、いまだによくわからない。

先述の大学院生は、先に研究者が根拠のある予測をし、それを登山家が自ら体験することでその見解が誤りであることを実証し、その後それを科学的手法によって立証する手順を、“科学の後追い”と称したのである。これらの事実からはそのような理解も可能であるが、その考えを妥当だと言えない2つの問題が在る。

その1つは、研究者による先の見解(酸素ボンベが必要や人間の素潜りの限界が30m)は必ずしも科学的実験によるものではなく、それまでの研究結果からの予測値に過ぎない。また、実際のパフォーマンス結果はある一定の条件下での科学的手法を用いた客観的データから予想したもので、高山や海の自然界の環境と全く同じ条件で測定されたものではない。従って、厳密には両者から得られた結論を同じ天秤に乗せて比較することは危険である。当時の研究者が自らのこれまでの不十分な実験結果から酸素ボンベを使わないと登頂はできないであろうと予測したことに問題が在ったと思われる。

もう1つは、エベレスト登頂の件を例に挙げれば、科学の客観的データと感性や経験知から得られた推測とが相互に対立するものでなく、それらは前後しながら、あるいは、互いに助け合いながら真理が究明されるものである。例えば、ニュートンはリンゴが木から地上に落ちるのを観て「万有引力」を発見し、ガリレオは天井から吊るされたシャンデリアが揺れるのを観て「振り子の等時性」を究明した。しかし、ニュートンやガリレオは長年の研究によって累積された豊富な客観的知識と経験に裏付けられた実学があり、その上に感性を刺激する物理的現象があって、客観的データに裏付けられる真理を見つけ出すことができたのである。

従って、大局的にみると感性や経験が科学に先行するのではなく、それらの要素が共存・互助しながら進化していると考える方がむしろ妥当であろう。