学会活動

ランニング・カフェ

第59話 高校・大学のスポーツ推薦入学制度の運用に潜む問題点

山地啓司(初代ランニング学会会長)

わが国では中学→高校や高校→大学へのスポーツ推薦入学制度が普及している。しかし、入学した後の運用の仕方は学校によって多様である。例えば大学では、授業担当の教員は毎年学生に「シラバス」を配布する。「シラバス」には授業内容、単位取得に必要な事項(テスト方法と評価法)、出欠の確認法と基準、補講の仕方などが明記されている。わが国では、その運用の仕方は授業の担当教員に一任されており、期末試験の方法は多様である。そのため、スポーツ推薦で入学した学生の中には授業に出ない学生、出ても昼寝と決め込んでいる学生、ひどくなると他の学生の授業の妨げになるような学生であっても単位が認定され、卒業できることもある。

あるスポーツ推薦で入学してきた学生は、「勉強は関係ない。運動で強くなればどこの大学でも入学も卒業もできる」と言い切る。そのような学生は中学から高校と、高校から大学と2度スポーツ推薦で入学してきた者に多いように思う。勉学に興味を持たない学生や不勉強な学生がなぜ卒業できるのか不思議である。勿論、スポーツ推薦で入学しても、一般試験で入学した学生と伍して勉学に励んでいる学生がいることは事実であるものの、概して、スポーツ推薦の学生は授業を受ける態度に真剣味が観られない。

本来、担当教員は授業に対して厳密でなければならない。そのためにはやむを得ず合宿や試合で出席日数が少なくなる場合には、すべての学生に“教育の機会均等”と“平等”が保障されるよう努めなければならない。また大学はあらゆる機会を通して補講やICTを使った遠隔授業ができる環境の整備と工夫をしなければならない。大学は、教育の機会均等のため、それぞれ工夫と努力をしている。それによって、ゼミや実験などで夕方からの合同練習が出来ないこともあるため、早朝に本練習をしている大学の運動部もある。学生たちは、最初は猛反対したものの、数カ月経過して早朝の本練習に馴れてくると生活習慣が安定して競技成績も伸びたため、結果として学生から好評であったと言う。クラブの監督・コーチは日頃から学問の重要性を認識し、練習と教育の時間を明確にすることで、トレーニングによる学生の受講の機会を奪わないように努めなければならない。

米国の大学では世界中から優秀なスポーツ選手を推薦枠で入学させ、高額の奨学金を提供するスポーツ種目がある。しかし、入学すると一般学生と平等に取り扱われ、期末テストの合格ライン(例えば、60点≦)を超えないと次年度に再度挑戦しなければならない。そのためスポーツ推薦で入学した学生のなかには練習に時間がとられ、テストに合格できずに卒業できない学生が大勢いる。欧米社会では、入学は比較的容易であるが卒業は難しく、“卒業”することにはそれなりに価値がある。米国においては中途退学や満期退学であっても、その履歴はそれなりに評価される。

1970年代に入ると米国の大学は高額な奨学金を提供して世界陸上界で活躍し始めたケニアの優れた長距離選手を招聘した。その中にヘンリー・ロノがいた。ロノは1976年ワシントン州立大学に入学し、全米大学陸上競技選手権10000mクロスカントリー大会でいきなり優勝し、1978年には5000mで13分08秒4の世界新記録を出すなど、全米のトップクラスの成績を維持し、さらに学業も優秀な成績で卒業した。しかし、ロノは数少ない成功者の1人で、ケニアから来た留学生の多くが授業についていけず中退せざるを得なかった。その中には学業に時間がとられ十分なトレーニングもできず、記録が低迷し奨学金が減額され、精神的ストレスから逃れるためにアルコールやクスリにおぼれる選手もいた。

そんな理由からか、ケニアからアメリカの大学へのスポーツ留学熱は年を追うごとに下火になった。1990年代に入るとケニアからオツオリ選手が山梨学院大学へ入学した。彼は性格も明るく何事にも前向きに努力したことから記録も順調に伸び、山梨の人達からも手厚い支援を受けた。そのことがケニアで評判になり、素質のある若きアスリートたちが日本の高校・大学へと留学して日本式のトレーニング法を学んだ。その1人が、仙台育英高校を卒業したサムエル・ワンジルである。彼は2008年の北京五輪で、スタート時24℃、ゴール時30℃と当時のマラソンとしては過酷な暑さの中で五輪新の2:06:32でケニアマラソン史上初の金メダル獲得した。

しかし、すべての留学生が一定の卒業水準に達して卒業したか否かは定かではない。あるケニアの留学生が「ケニアの留学生にとって日本の学校は楽園である」と言ったのは、何を意味していたのであろうか?

日本の大学は世界の先進国の一員として、国内だけでなく世界から優れた選手をスポーツ推薦入学枠で入学させている。彼らが卒業して故郷に帰り、多様な分野で活躍できるよう、大学は“学問の自由と権利と平等”の下で学んだことが故郷の発展に寄与できるよう支援していかなければならない。

スポーツは身体で行うが、それを動かすのは大脳(精神)であることを忘れてはならない。