学会活動

ランニング・カフェ

第10話 ペースメーカーの存在は世界記録を出にくくしている

山地啓司(初代ランニング学会会長)

1980年代に大都市でのマラソン大会が各地で実施されるようになると、開催地の都市同士がマラソン大会の価値なり評価を高めるためにより良い記録を競い合う形で、賞金レースとペースメーカーが誕生するようになった。さらに、今世紀に入るとトラックの長距離種目にもペースメーカーがつくようになった。

それが高じて、男女混合のマラソンレースでは、特定の女子選手のために男子の選手がペースメーカーを意図的に行うようになった。それには女子マラソンではペースメーカーより出場選手の方が実力的にハイレベルになったために、女子選手の中からペースメーカーを確保することが難しくなった背景がある。そこで、女子マラソンでは女子のペースメーカーを準備することができず、苦肉の策として男女混合のレースでは主催者あるいは私設の男子選手のペースメーカーを雇用するケースが増えてきた。そんな背景の中で、2003年ロンドンマラソンの開催にあたって、大会組織から招聘されたラドクリフは、男性ペースメーカーを付ける条件で大会への出場を決めた。レースは男性のペースメーカーだけでなく私設応援団(?)と評する者たちも加わり、風よけ係や給水係等も配置する過剰サービスが好影響を与えたのか、当時の世界記録を5分余り上回る2時間15分25秒という大記録を樹立した。

特定の選手へのこのような行き過ぎたサービスに対して各国からブーイングが生じ、後に男女混合マラソン大会での女子の記録は最高記録とし、世界記録に該当しないルール改正が行われた。ただし、ラドクリフの記録は「ルールの改正時、新ルールの適用は過去にさかのぼらない」という法曹界の不文律に従い世界記録として認められた。いずれにしろ30年余り続くペースメーカーの制度はマラソンレース序盤に生じる無用な争いを避け、個人の力を最大限発揮し、より良い記録誕生を祈念する形で生まれた。しかし、スポーツの世界では、安全や安定を願う余り意図的にペースをコントロールすることは、本来の競争や闘争の意義を見失うことにつながる。これは経済界でも同じである。日本の経済界の牽引者の一人、渋沢栄一は“競争が進歩を生む”と言い、自由な競争を妨げることは日本の経済の発展を阻害すると語った。すなわち、マラソンを走る前にどんなペースで走ればいいか、また走り始めて自問自答しながらペースを構築する能力が育たなくなるのである。また、ペースの上げ下げ(ゆさぶり)は作戦の重要な部分である。ペースメーカーの存在によってスタート直後から単調なペースが1時間余り続き、視聴者はその間の面白味が半減することになる。意図的にレースを制限することは、マラソン本来の競争原理を歪曲し、レースそのものの醍醐味を損なう恐れがある。それだけではなく、ペースメーカー誕生の意義はより良い記録を出すためにあるのだが、女子の場合と同じように現代では男子選手の中からペースメーカー適任者を選出すことがきわめて厳しくなってきている。すなわち、マラソンランナーの実力がペースメーカーをはるかに上回ってきたためである。その証拠に世界の大都市型のマラソンレースではペースメーカーの責任距離である20㎞なり30㎞を待ちきれなくなって、速めにスピードアップする選手も出てきている。あるいは、ペースメーカーがトップ集団から離れるのを「待ってました」とばかりに、一気にペースアップをして戦闘態勢に入る選手が目立つようになってきた。

マラソン記録が最高になるペース配分は、800mや1,500mのように前半速く、後半そのスピードをいかに維持するかのレースではなく、Elyら(2008)が指摘するように、物理的イーブンペースをできるだけ高い水準で維持することである。後半ペースが上がることは生理的にみて不自然である。すなわち、後半になると、生理的には酸素摂取量やその維持能力、あるいはランニングの経済性も漸減するために、ペースが上がるということはまだ余裕を残してゴールしたと考えられるからである。野口純正氏(『陸上の友』No.597)は、ハーフマラソンの持ちタイムからマラソンの記録を推定している。それによると、現在のハーフマラソンの世界記録の58分23秒では、マラソンを2時間02分00秒、57分54秒だと2時間01分00秒、57分25秒だと2時間を切ることが可能としている。

マラソンランナーがレースでトップ集団を形成することは、暗黙に競争と協調に妥協することである。ペースメーカーをつけることによって競争意識を削ぎ過ぎると、協調的意識だけが強化されペースが低下することが懸念される。現在では、世界の大都市型のレースではペースメーカーをつけることが世界記録を出にくくしていると考える。