学会活動

ランニング・カフェ

第15話 マラソンの集団形成のメリットとデメリット

山地啓司(初代ランニング学会会長)

1990年代に入ると東アフリカの高所民族と呼ばれるケニアやエチオピアのランナーの一攫千金を狙ったマラソンへの挑戦が始まったことから、これまでの安定したサバイバル(生き残り)レースが様変わりした。現在の国際マラソン大会はペースメーカーが離脱をするのを待ちかねたように一気に加速し、それまでの集団が崩れ、小さなスパートを繰り返しながら最後まで加速できる余裕を残したランナーが勝利するイージ(抜け出し)レース(競馬でゴール直前にスピードを出して前を走る馬をごぼう抜きして勝利する場合に使われる言葉で、この言葉がこの場合妥当か否かは判らない?)に変わった。

ただ少なくとも中盤まではペースメーカーを中心にトップ集団を形成して走っている。集団の大きさはペースが速いと小さく、ペースが遅いと大きい。また、レース中盤でペースが上がったり、向かい風がつよければ強いほど集団の密度は濃くなり、逆にペースがダウンしたり追い風が強くなれば密度は薄くなる。さらに、気温が約25℃を超えるようになると、終盤ペースをアップするほど余力が残っていないので、この場合にはサバイバルレースになる。

ではなぜ集団はできるのであろうか。選手はだれもが無駄なエネルギーを使わない効率的なレースを求める。自ずから集団内にいるメリットとデメリットを考える。考えられるメリットには、①空気抵抗の軽減、②戦闘意欲の高揚と維持、③ライバル選手の動向の把握が、また、デメリットには、①集団のリズムで走らねばならない、あるいは②周囲のランナーとのトラブルの発生、などがある。

詩人の渡辺十絲子は、「人間はもともと他者を必要としない自立した生き物だが、競争(競走)があまりに激しいと人類が生き残るうえで不利なので、個人の自由を少し犠牲にしても共同体を選んだ。そして、人間が社会生活を選んだ第一の理由は“安全”だ」、と述べている。当然社会とスポーツの目的・状況が異なるので全く同じだとは言えないが、ランナーは最初から勝負を意識するのではなく、中盤あるいは終盤までは”みんなで一緒に走りましょう“という互助ムード(集団の妥協)であるので、社会とマラソンの集団にそれほど大きな違いはないように思う。

次に個々の要因について、メリットから見てみよう

① 空気抵抗の軽減

イギリスのピュー博士は、ランナーのランニングスピードの空気抵抗に要するエネルギー量を算出する式を発表している。仮にこの式を使って無風状態の中を秒速6mで42.195kmを走っていると仮定して、その真後ろ1mのところをランナーが走ると5分02秒8、2m後ろを走るとすると2分29秒1それぞれ速く走れることになる。我々のマラソンの集団の調査では前走者の真後ろを走る際、自然な状態(リズム)で走るための両者間の距離は走者の体長(身長)の長さであり、一方2倍以上離れると後ろに残されるのではないかと言う不安に取りつかれたり、あるいは、他の選手がその間に入って来るのではないかと考えて余裕がなくなる。従って、約2m程度が最適と考えられる。とすると、真後ろのランナーは前走者に比べ、シールディングによって約2分半記録が短縮する計算になる。

② 競走意欲の高揚と維持

ランナーは1人で走るよりは数人の集団の中で走る方が楽に感じる。筆者らの調査では1,500mのタイムトライアルを7~10回繰り返した実験では、単独走よりも能力の拮抗した複数走の方が約6秒速くなる。これは複数走ではテスト前にすでに心理的に活性度(やるき)が高まっていることに原因する。家畜業者は1匹で飼うよりは群れで飼う方がエサをよく食べ、早く成長することを経験的に知っている。バッタが一匹の時はからだが緑色で、数が増えてくると黒ずんでくるのは明らかに興奮状態になった証である。マラソンレースでも集団になると競走意識が高まり、さらに周囲のランナーの息づかいや足音、さらには沿道からの声援で活性度が高まり励みになるのはアドレナリンや脳内麻薬(エンドルフィン)の分泌が高まることが影響しているのであろう。

③ ライバル選手の動向の把握

今日の国際的マラソンレースでは最初からトップ集団に存在しない限り優勝は困難である。各選手が“みんなで一緒に走りましょう”の気分から抜け駆け(勝負)のチャンスを伺い始める中盤から終盤にかけてトップ集団にいないと、作戦上、非常に不利になる。また作戦上集団から少し遅れトップ集団にいた選手が集団を離れ、ペースがダウンしたのを捉えていく作戦であっても、トップ集団が完全に視界から消えることは情報が途絶えてしまうので得策ではない。離れてもトップ集団が見える範囲に留まっておくことが戦略的にみて(攻撃範囲内に留める)望ましい。

次に考えられるデメリットは次の点である。

① 集団のリズムで走らねばならない

ランニングは単調である。それだけ走るリズムは大切である。特に長丁場のマラソンレースでは、ランナーはリズムが狂ってくると、失われることは早晩のペースダウンに繋がることを知っている。ランナーが集団の中で走るのは個々人のリズムが失われることを半ば覚悟した上で、その犠牲を凌いで集団への帰属が有利になることを期待するからである。それを天秤にかけながら多くのランナーは集合離散を繰り返す。集団の中でも周囲のランナーのストライドやピッチ、呼吸や足音のリズムなどとの適・不適によって、集団内の位置を変える。前の走者のランニングリズムとほぼ同じであれば、そのランナーにとって好位置についたと言える。前走者のリズムに吸収されやすい範囲内のリズムで後ろのランナーが走っていると、前ランナーを目で追っているうちに相手のリズムに自然に同期する(引き込み現象)。むしろ前走者のリズムと後方のランナーのリズムとが大きく異なる方が、走りづらいものの相手のリズムに引き込まれる心配はない。

② 周囲のランナーとの接触等の発生

集団の中で走ることは集団のペースが変化するたびに前走者にぶつからないようにスピード調整をしなければならない。丁度高速道路が渋滞している時に加速や減速を繰り返すことによって走行効率が低下する状態である。特に集団の真ん中に位置するランナーは方向変換が不自由なために、空気抵抗では有利になっても、加速・減速の消耗によって両者が相殺されることになる。そこでランナーは集団の中の最適な位置を確保するため、移動を余儀なくされる。また集団のペース変動に伴い周囲のランナーの腕や足との接触が生じる。接触が生じないようにスピードと方向を調整するためのエネルギーの消耗も無視できない。夏場のレースでは給水所で頻繁に給水するためにスピードを調整しなければならない上に、集団が崩れると元の安定した集団になるために時間とエネルギーが必要である。

マラソンで形成される集団は生き物である。変化するたびにエネルギー消費量が増すが、それは多分空気抵抗でセイブされたエネルギーで相殺されると思われる。従って、もし集団で走る有利性が存在するとするならば、それは心理的な効果と、ライバルの動向が判る点であろうか。