学会活動

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第37話 マラソンで風の影響を検証 ー2時間突破のさらなる方策は?ー

山地啓司(初代ランニング学会会長)

マラソンの距離42.195kmを単独で走り通すことは至難の業である。しかし、大勢のランナーと一緒に同じ目標に向かって走ると共働作業効果が得られる。さらに、集団になって走ると①ライバルに負けないように、あるいは少しでも速く走りたいという内的モチベーションが高まる。もう1つ②相互に風の抵抗を和らげるというメリットがある。今回は風の抵抗を和らげるドラフティングの効果について述べてみよう。

ランニングスピードが速くなるにつれ風(空気)の抵抗が高まる。水中・水上スポーツの水泳やボートでは水の抵抗、自転車やスケートでは空気抵抗や風の影響が記録に大きく影響することから、早くからドラフティングの科学的研究が多く報告され、現場での対処法が検討されてきた。では、陸上競技のトラックのオープンコースの競技やロードレースにおける空気抵抗や風の影響や、その対処法はどこまで検証されているのであろうか。

2017年にナイキが企画した“Breaking 2”のイベントでは、2.4kmのF1レース用のサーキットを用い、風と水分摂取に要するロスタイムを最小限に抑える「マラソンで2時間を切る試み」に3人のランナーが挑戦した。惜しくも終盤の減速で2時間を切ることはできなかったものの、キプチョゲが2:00:25の好記録で走り切り、人類初のマラソン2時間突破が目前に迫っていることを世界にアピールした。

キプチョゲは2016年のベルリン・マラソンに2:03:05で優勝し、2018年には2:01:39の世界記録を樹立した。この2回のベルリンでの気象条件やペース、ライバルの有無は必ずしも同じではないが、ナイキのイベントの記録に比べると2016年の記録は2分40秒、2018年の記録は1分14秒遅い。

女子では2003年のロンドン・マラソンで、ポーラ・ラドクリフ(英国)が男子選手によって風からガードされる援助を受け、驚異の世界記録2:15:25を樹立した。この記録が男女混合のレースで出されたこと、風のガードを得ながら走ったことで世界記録認定の是非が問われた。ラドクリフはそのさなかの2005年、再度ロンドンに出場して2:17:42の女子単独レースでの世界最高記録で走った。両者の記録の差は2分17秒。これら2つの事例から推測すると、マラソン走行時の風の影響は約2分と考えられる。

最近の都市マラソンは20~30kmまでペースメーカーのリードで進むが、時には25~30kmから勝負を意識し、独走態勢を築く選手や何人かでグループを形成し終盤まで勝敗を競うレース展開になる。そのため、選手個々人の風の影響はどんなレース展開で、どんなポジションをキープしながら走るかによって異なる。

さらにリーディングポジションにあっても、その前を大型のテレビ中継車が走って風よけに一役買っている場合もある。特に大都市型のマラソンではビル風の風力・風向がめまぐるしく変わり、実際の風の影響を正確に測ることは難しい。

かつて、イギリスのPugh(1970)は、空気抵抗に要するエネルギー消費量(ΔVO2)はランニングのスピード(V)の3乗に比例する。すなわち、

ΔVO2=0.002V3
である(ただし、V: m/sec)。さらに、空気抵抗のあるグランド走と、空気抵抗のないトレッドミル走ではランニングスピード(X: km/h)に対する酸素摂取量(ml/kg/min)(Y)は、
Y=3.66X-3.99(空気抵抗あり)とY=2.98X+4.25(空気抵抗なし)
となる、と報告している。

しかし、先頭のランナーが受ける空気抵抗に要するΔVO2(6.1 ml/kg/min)を100%とすると、その選手の1m真後ろを走る選手の抵抗はその20%(-Δ4.88 ml/kg/min)、2m後ろでは60%(-Δ2.44 ml/kg/min)に相当する。ランナーが真後ろで自然な形で走れる距離は身長の高さであることから、おおよそ50%(-Δ3.05 ml/kg/min)となる。

仮に先頭のランナーが2時間を切る最低のペースの5.86 m/s(21 km/h)で走っているとすると、1m後方の選手は同じエネルギー消費で22.6 km/h、1.5m後方の選手は22.0 km/h、2m後方の選手は21.8 km/hの各スピードで走れることになる。

自転車の団体追い抜き(3~4人)レースでは、選手が交互に先頭を交代する。マラソンでも2:03:05~2:04:15の記録を持つ4人が42秒ごとに先頭を交代しながら走ると、推定されるベスト記録は2:00:48となる。さらに、個人のベスト記録が先の記録の範囲内の選手8名が42秒ずつ先頭を交代しながら走ると2時間切りが可能になる(Hoogkamer et al, 2017)。

しかし、実際のレースではドラフティングの問題だけではなく、先頭を走るメリットもある。それは自分のペースで走れることである。それに対して後方の選手はただ前を走る選手との距離を一定に保つだけでなく、周囲の選手との接触を避けながら走るため、必ずしも一定の選手間やスピードを保てるわけではない。

さらに、ドラフティングを有効に保つために先頭の動きを絶えず注目しなければならない。それはまた無意識に前の選手のリズムに取り込まれる(強制的同期現象)ことにもなる。

マラソンレース中の風(平均2~3mとすると)や空気抵抗に対するドラフティング効果は約2分程度と推測できるが、実際のレースでは風よけできるポジションを保つことが絶対とは言えないのである。