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第38話 最初に2時間突破するのは誰か? ―マラソン新時代主役も東アフリカ勢―

山地啓司(初代ランニング学会会長)

本記事の内容は2018年時点の情報に基づきます

多くの研究者がマラソンで“いつ”2時間を突破するかについて、過去の世界記録の軌跡から推測してきた。古くはAV.Hill(1924)が100mからマラソンまでの記録の伸びが年と共に改善するとみなし、Ryder et al(1976)はその考えを踏襲してマラソンの2時間の壁が2004年に破れると予測した。

しかし、その推測は大きく外れた。原因はマラソンの記録の伸び率が徐々に低下し、直線的に改善するのではなくむしろ指数関数的な曲線を描きながら変化することにある。

それを踏まえ、10数年前からは過去の記録から推測する際には指数関数を用いるようになり、新たな推測資料では2時間突破の夢は2028年から2100年へと大きく後退した。

ところが、10年ほど前から高所民族の積極的なレースによって再び記録が急激に伸び始め、2008年には2時間3分台(エチオピアのハイレ・ゲブレセラシエ)、2014年には2時間2分台(ケニアのデニス・キメット)、そして、2018年には2時間1分台(ケニアのエリウド・キプチョゲ)へと記録を更新した。このスピードの改善率が維持されると2019年には0分台、2020年に2時間の壁が破られると推測される。

では、近年の急速な記録伸長現象はなぜ生じたのであろうか。第一の要因としては選手の体力や走技術のレベルアップが挙げられるが、他にも記録の出やすいコースへの変更、道路舗装技術とシューズの機能的改善、ライバル選手の層の厚さや高額な賞金レースによるメンタル的な刺激、情報機器の普及によるトレーニング方法の改善などの複合的な要因が考えられる。

なかでも、昨年のキプチョゲは一気に世界記録を1分18秒も短縮し、2時間切りへの流れは一段と早まった。近年のマラソン記録の急激な伸びは、高所民族であるケニア、エチオピア勢の活躍が支えている。世界歴代記録の10傑中6名がケニア選手、4名がエチオピア選手で占められている。

その背景には、最近の情報機器の普及や東アフリカ勢の目覚ましい海外進出がある。欧米や日本のマラソントレーニング法を学び、日頃のトレーニングの中に取り入れる選手が多くなっている。

もうひとつ大きいのは、シューズの改善にともなう影響。特にキプチョゲの80秒近い記録更新は、これを抜きには考えられない。

世界のスポーツシューズメーカーはこれまで、シューズの3機能(軽さ、緩衝能と反発力)を高めるために凌ぎを削ってきた。日本のメーカーが軽さと緩衝能の改善に力を注いでいた2006年頃、ナイキはすでにシューズの反発力を高めるカーボンファイバー・プレートの埋め込み型のシューズ開発に取り組んでいた。2015年には効果は個人差が大きいことが報告されている。

2017年には、マラソンで2時間の壁を破る可能性を追求する機会と、自社の新製品(Nike prototype: NP)の性能の高さをアピールする目的で、2時間突破を目指すイベント「breaking 2」を開催した。

ナイキはこのテーマの挑戦者に「世界最速の男」で、リオ五輪覇者のキプチョゲと他2名のパートナーを選んだ。このレースはランナーへの風の影響を最小限に抑えるため、人海戦術で「人間の壁」をつくり、水分補給は自転車に乗った給水担当者が手渡しで行う徹底した戦術をとった。

終盤の減速によって惜しくも届かなかったが、2時間の壁にあと25秒に迫った。壁突破の可能性が目前であると示したインパクトは大きく、同時に、衝撃を和らげ、反発力を高めた新製品(NP)の性能の高さを世界にアピールすることにも大成功した。

2018年には2~3件の科学雑誌にナイキの新製品(NP)が自社の既存のNike Zoom Streak 6(NS)や、ライバル企業アディダス社のAdizero Adios Boost 2(AB)に比べエネルギー消費量が4%余り少ないことが掲載された。このシューズの弾力性により消費エネルギー量が削減され、脚筋の疲労遅延に効果的に作用することが報告された。それによってマラソンの記録が具体的に何分何秒短縮できるかは個人差が大きいが、おおよそ1~2分の短縮が見込めるようだ。