学会活動

ランニング・カフェ

第43話 スポーツによって獲得する“勘”

山地啓司(初代ランニング学会会長)

わが国の“勘”に関する研究の第1人者の黒田亮が1930年代の自らの研究をまとめた『勘の研究』(1980)が死後6年経て発刊された。この著書は、仏教的言語を用いて心理的視点から考察したもので、“勘”を「識」と言う意識的なものと、「覚」と言う自証的なものに区分しており、単なる潜在意識だけではなく自証する主体に十分理解され方向づけられている意識、すなわち、ある程度客観化されたものと説明している。

一方、中山正和は、『カンの構造』(1968)の中で、勘の構造には、既に「大脳に存在する情報」や新たに「教えられた情報」の「与えられた情報」と、それらの情報が大脳の中で組み合せられる(融合)ことによって、ある時「そうか!」と悟る「自発した情報」とが存在する。そして、情報には質と量があり、質の良い情報はすぐに役に立つが、例え質が悪い情報でも量が増えることによって価値ある情報に変貌する可能性を秘めている、と言う。

身近な例を挙げて説明すると、例えば、新たに発見された洞窟の奥の構造の様子を直接中に入って探索することなく知るためには、見える範囲内の植生や鳥などの小動物(コウモリなど)の往来、空気の温度・湿度や流れの方向・変化、水の音や鳥のさえずり、周囲の地形の成り立ちや特性などの客観的現象を注意深く観察することによって、洞窟の奥の状態を間接的に推測する。さらに、既に知られている洞窟の特徴や特性と照合することによって、恐らく洞窟の内部は奥が深く、水が流れ、鍾乳洞が存在するであろうなどと、未知にたいする高質な推論が生まれる。このような推論を何度も経験する中に、一見しただけで洞窟の内部を正確に推理する、“勘”が働くようになる。この“勘”は飽くまで客観性が基礎となっていることから宗教で言う予言や占いなどとは一線を画する。

前置きが長くなったが、本稿では上記の2つの著書を参考に、スポーツ選手が有するそれぞれのスポーツ特性にみられる“勘”の獲得法や特性について考察する。ただし、本稿で言うスポーツ情報とは主に身体の技術や適応能力を指す。

体内の感覚器から発信される信号(情報)は大脳によって感知・知覚され、大脳に蓄えられる。その時の情報は孤立した点、あるいは、関連する情報が線でつながった形で貯蔵される。また、外界からの情報は大脳で知覚されて初めて記憶され、保管される。この記憶された情報の多寡は「情報感知能力」によって決まる。さらに感知された情報を発信する時には「情報伝達能力」、それらの情報を用いて新たな理論や物を創造する時には「情報処理能力」が必要になる。

スポーツなどで「技」の情報として蓄積されたものが実際に「技」として表出されるためには、必要な情報の収集・伝達・融合等の一連の経路をたどらなければならない。その実証的な例を挙げると、高所トレーニングを初めて経験する(1回目)と、2回目の高所トレーニングでは1回目に獲得した低酸素環境の適応能が完全に消失しないである程度体に記憶として残っている。すなわち、「からだが高所を記憶している」と一般に呼ばれている。その他、自転車に乗る技術を一度マスターするとその技術は半永久的に記憶される。また、子どもの頃にトレーニングで獲得したスポーツ技術は20~30年経ても、「昔取った杵柄」と例えられるように、体力的に衰えてもその片鱗がフォーム(技術)に残って(記憶されて)いる。

大脳は記憶として蓄えている「内部情報」と新しく獲得した「外部情報」を照合・融合することによって、「技」の転移(transfer of skill)を可能にする。例えば、中学でテニス部に所属していた者が、高校でバトミントン部に入りトレーニングを始めると、これまで獲得されてきたテニスの「技」がバトミントンを習得する際に役立つ。すなわち、バトミントンの高度な技を習得しようとする時テニスの技の転移が発生する。その時、有効に役立つ場合を「正の転移」といい、逆に、テニスの技が邪魔(癖)をしてバトミントンの技術習得の妨げとなる場合を「負の転移」という。従って、かつて獲得した技の情報は大脳に記憶されているが、その記憶の100%がプラス方向に利用されるとは限らない。

大脳に記憶された情報は時間経過に伴い大脳新皮質→古皮質→旧皮質→海馬へと移行する。繰り返し習得された技術は最終的には海馬に潜行して記憶されるので、無意識的や反射的に「技」として表出される。その時は大脳皮質が直接関与せず、半ば反射的であるので迅速で効率的・合理的な動きとなる。すなわち、スポーツ選手は頭で考えてプレーするのではなく、反射的にからだが動くまでに昇華している。例えば、プロ野球選手が試合後インタビューで「難しいボールだったが、からだが自然に動いて上手く打つことが出来ました」と述べるのはその事実を物語っている。

動物や鳥は走り方や飛び方を変えることができないが、ヒトは走り方を改善しそれを何年も大脳に記憶することができる。