学会活動

ランニング・カフェ

第45話 マラソンレースで形成される集団の性格

山地啓司(初代ランニング学会会長)

集団の成立要件は、成員の数が複数で、成員相互に連帯意識が内在していることである。マラソンのレースで形成される集団では選手の目的が明確であることから、集団の凝集性はかなり高い。例えば、2019年に開催された五輪代表選考会(MGC)では、多くの選手の実力が伯仲しており、しかも、目的が2位以内あるいは最低3位以内に食い込むことであったことから、先頭集団の凝集性は他のマラソンレースに比べ極めて高かった、と言える。

一般のマラソンレースでは、選手はあらかじめスタート前にペースを決めており、先頭集団の中で走ろうと思っている選手はスタート直後に先頭集団を形成するが、後方の第2集団、第3集団・・になるにつれ自然発生的に集団が形成される。

先頭集団の成員であっても、予想よりもペースが速いと判断した選手は早々に集団から離脱するが、一般にトップ集団の成員は中盤までは競争意識よりも互助的精神で比較的安定したペースで淡々と走る。ただし、成員のすべての選手が必ずしも満足するペースではないかもしれない。その意味ではマラソンの集団は等質と言うよりは異質である。

レースが中盤から終盤に入り選手の順位争いや記録争いの意識(雰囲気)が高まるにつれ、集団は徐々に落ち着きを失い、集団のペースが上がると余裕のない選手は集団から離脱し、下位の集団に吸収され、それでもその集団のスピードについていけなくなると、さらに下位の集団へと離合集散を繰り返す。上位の集団から下位の集団に吸収された選手が再び上位集団に返り咲くことはきわめて稀であるが、下位の集団にいて力を温存してきた選手はペースアップをすることで上位へと順位を上げることもある。トップ集団の成員の数は25~30㎞までは緩やかに減少するが、それ以降はペース変動が生じるたびに段階的に減少する。

マラソンレースで形成される集団の成員間には、①競争と共存、②心理的安心、③物理的影響、④同期現象と受動的ペース変動等の、戦略的性格が浮き彫りになる。

①競争と共存:選手が同じ目的で同じコースを走っているという意識、すなわち、相互の励ましや集中力の高まりなどによって“協同作業効果”を生む。例えば、集団走で1,500mを競うとき単独走よりも記録が2~3%よくなる。これは相手の足音や息遣いを聞くことによって心理的に刺激を受け、集中力や頑張り力が高まるためである(競争効果)。

②心理的安心感:先頭集団のペースは自然発生的に作られたもので、成員の合意によるものではない。そのため成員すべてが満足するペースではないが、先頭集団を離れ1人で走る不利益と、集団で走る利益を考慮して集団内にとどまっている。最初は少しペースが遅く感じられても徐々にそのスピードに慣れて意識しなくなる。この現象が不認知の満足現象と呼ばれる。逆に、ペースが遅過ぎて不満が募り、ペースアップして集団から離れる行為を不満生産性の法則と呼び、不満をエネルギーに変換した行動である。しかし、それは冒険が大きすぎる。一般には集団の中で力をセーブしながらペースアップのチャンスを狙うのが常套手段である。

③物理的影響:その1つがドラフティングである。これまで多くの研究者によってランニング中の空気抵抗とスピードの関係が研究されてきたが、その多くは進行方向からの空気抵抗と仮定して、その影響を調べたものである。たとえ無風状態でレースが行われたとしても、実際に選手が受ける空気抵抗は集団の位置や風向によって異なる。例えば、無風状態でマラソンの先頭を走る選手が受けるロスタイムの推定値は約4~5分である。キプチョゲ(ケニア)が2017年と2019年の2回風よけのためパートナーの協力を得ながら“マラソン2時間切り”に挑戦したが、その挑戦時の記録に最も近いキプチョゲのベスト記録とを比較すると、その差は 3分07秒と1分59秒となる。この差から推定されるマラソン走行中の風の影響は約2~3分と推定される。

④同期現象と受動的ペース変動:風を遮るために前の選手を楯にしてその後方を走ることも重要である。しかし、選手の後方を走ると無意識的に前方の選手のリズムに引き込まれる(強制同期現象という)。この時、前の選手のリズムと適合する場合はプラスの、逆に、不適合のときはマイナスの影響を受ける。戦略的にはリズムが合う選手を見つけ、その選手の後方について走ることである。

また、集団の中で走る際には周囲の選手と手や足が接触しないように一定の距離を保たなければならない(真後ろの場合には、およそ身長分の距離)。しかし、一定の距離を保ってもスピードには小さな加減がある。その変動幅は集団の前方に位置する選手ほど小さく、後方に位置する選手ほど大きくなる。従って、集団の中での位置は先頭から2~3列目の前方が見える位置が理想である。

勝ちたいという“意欲”、勝てるという“自信”、勝って見せるという“情熱”の空気が漂う集団の中で走ることが理想である。