学会活動

ランニング・カフェ

第46話 一流のスポーツ選手は高度な感性と知力を有する

山地啓司(初代ランニング学会会長)

サイエンス(科学)は環境(自然や社会等)に存在する様々な事象の成り立ち(構造)や働き(機能)を客観的に体系化し、さらに、得られた理論や知識を用いてテクノロジー(科学技術)を創造・発展させることによって、人々の生活を物質的に豊かにした。それに対してアート(芸術)はヒトの内面にある喜怒哀楽等の情動の働きを文学、絵画、彫刻、音楽、映画、演劇などに表出し、それを読んだり、観たり、聴いたりする者に多様な感覚を抱かせ、芸術文化を発達させた。また、スポーツや体育はサイエンスやアートを享受する健全なからだをつくり、身体活動を通じて心身の高度な活力を育みスポーツ文化を発展させた。

これらサイエンス、アート、スポーツの3分野は大脳の構造や働きからもその関連性が理解できる。猪飼道夫(『教育生理学』)は、大脳の働きには3つのセクションに区分されるとした。すなわち、頭頂部に位置する①大脳新・古皮質は、高度な知的活動(記憶、創造、言語等)を司り、“よく生きていく(grateful living)”ための随意的な働きをしている。その下部の②大脳辺縁系(旧皮質や間脳の上部)は情動脳とも呼ばれ、感情(喜怒哀楽等)をコントロールし“逞しく生きる(forceful living)”ための働きをしており、さらに、その下部の③脳幹脊髄系(間脳の下部、橋、中脳、小脳、脊髄等)はヒトが“生きていく(survival living)”ための不随意的働きをしている。これらの3つの器官は相互に密接に関連・補完し合いながら機能しているため、機能的には一線を引くことはできない。

永田勝太郎(『脳の革命』)は、動物の大脳の発達状態から、ヒトやチンパンジーなど高等動物に特に発達している大脳皮質を “ヒトの脳”、喜びや悲しみなど感情の表出に関与する大脳辺縁系を“ネコの脳”、生命維持や子孫繁栄を司る脳幹脊髄系を“ヘビの脳”と呼んだ。

筆者が大学に入学して「教育学」の初めての授業でI教授は「体育学部の学生は出席率が低く授業態度も悪い。当然のように期末試験の成績も悪い。スポーツ選手がこれから上のレベルを目指すならば学問と真剣に取り組まなければならない」と話した。I教授の話は残念ながら筆者にも該当するが、確かに半世紀前の体育学部生は不勉強であった。しかし、今日では、スポーツ競技者は絶えず大脳に知的な刺激を与えなければ競技力を高度な水準まで高めることが難しくなっている。

マーフィーとホワイト(『スポーツと超能力』)は、昔スポーツ選手は“頭の鈍い腕力の獣である”とみなしてきたが、サン・ホセ州立大学の心理学のオーグルビーの総合心理テストの結果から、あらゆる主要なスポーツのチャンピオンたちはすべての質問項目で高い順応性を持ち、機知に富み、物事に精力的に取り組み、自らの行為に対して責任を持って対応する能力があり、特に優れたスポーツ選手は高い記憶力、頭脳明晰な判断力、集中力とその持続性、創造力等に優れ、知的能力と感情コントロール能力にも長けていた、と述べている。

先に日本で行われた世界ラグビー選手権大会を観て、鍛え抜かれた無駄のない連携プレイやあたかも後ろに目があるかのような後方の選手への正確なパス、一糸乱れない隊形とチームワーク等々、トレーニングだけでは鍛えられない知的で感性に基づく高度な瞬時の判断の正確性に魅了された。同じオープンスポーツであるプロ野球では、投手が投げる約150 km/hを超えるようなスピードのボールをよく見てから打つか否かを決めていては振り遅れる。エリート選手は投手が次にどんなボールを投げるかをおおよそ予想している。また、サッカーでは、ゴールキーパーは相手がどんな体勢からどこへシュートするかを読んで動きを開始しなければゴールを阻止することは難しい。阻止を可能にするためには予測予知などの感性や経験知を高めておく必要がある。

スポーツ指導者は選手の動きの美しさや巧みさ、バランス、安定性、正確性、素早さ、耐久性等を観察し感性や経験知を基に指導している。また、スポーツ研究者は科学的測定機器を駆使して体力や動きの効率性(経済性)を、また高速度カメラやビデオから得た画像をコンピュータ解析して、美しさや動きの合理性を追究している。幸いこれまでの研究では、科学的知見として得られた効率性や合理性は、感性で得た美しさや巧みさと相互に不即不離な関係を保っている。

従って、上を目指す選手は自分たちに関連するスポーツの学術書を読むことで最近のトレーニングに関する情報や知識をえて、スポーツの実践に役立てるように日頃から感性や眼力を養成しなければならない。最近の学術書は実験結果が実践の場でどのように生かせるかを記述することを義務化しているものも少なくない。