学会活動

ランニング・カフェ

第53話 ネット社会の職階のフラット化

山地啓司(初代ランニング学会会長)

テクノロジーの発展に伴う情報機器の普及は社会や日常生活の活動を大きく変化させている。かつて、欧米では研究費が多い教授には、実験のプロフェッショナル(以降“プロ”とする)、タイピスト、図表の作成や文献収集・整理等を行うプロ的秘書たちがいたが、AIやIT機器の開発によってそんな特殊技能を持ったプロは少なくなっている。現在では銀行でのお金の出し入れや支払いを預金者がATMを操作して行っている。また最近、JRのみどりの窓口の数は激減し、切符の取得はスマートフォンや備え付けの機械を使って各自が操作しなければならない。

新型コロナウィルス感染症(以降“コロナ”とする)の影響で大学の授業はオンラインが中心になり、もし将来、全国どの大学の教授の授業も受講できるようになると大学の教員の数が随分少なくなるかもしれない。

このようにAIやITの普及によって誰もが一様にパソコンやスマートフォンを駆使できるようになったことで、プロと呼ばれる専門職や技術者達はさらに減少して来るだろう。これが“職階のフラット化(flat hierarchy)”と呼ばれている。

数年前に筆者は日々のウォーキングコース近くにあるスポーツクラブを何気なくのぞいてみたところ、20~30年前のスポーツクラブと随分様変わりしていたのに驚かされた。かつてのインストラクターは、新会員に対して具体的トレーニング方法、適切な運動の強度や時間(回数)、運動の負荷や漸増の仕方等をこと細かく指導していたが、現在では初心者にトレッドミルや自転車エルゴメーターなどのスポーツ機器や運動器具などを安全に使えるように指導し、その後は、会員自らが主体的に運動をし始める。勝手を知っている会員は、運動した後はインストラクターと会話することもなく備えのカルテに今日行った運動内容を記載して帰っていく。

すでにある程度運動の基本を勉強してきた人が運動不足を解消するために運動を始めようとする場合は、運動の場所と運動機器を求めて入会しているように思える。TVで放映されている柔軟体操や筋力トレーニングなどを体験した後、スポーツクラブに来る人たちが多くなったのであろうか。

かつては、TVなどで実演しているインストラクターは実技経験が豊富で、スタイルもよく動きも華麗で、中には、競技歴も優れた人が多かったような気がする。しかし、最近の指導者の中には必ずしも実技のプロの指導者という感じがしない人もいる。指導者の経歴からみると豊富な知識が伺われ、また解説にも説得力があるが、実技指導の際の身のこなしや動きを見る限り初心者的な人もいる。このような指導者のレッスンを受講した人の話では、「彼は多くの視聴者から評判がよく一緒に運動していると楽しくなるので、テレビの画面を見ながら運動している」、と言う。これまでこのような体操教室に出てくる指導者はスタイルが良く動きがかっこ良いので、“すごい”と思うのだが、自ら一緒にまねをしながら体操をしようとまでは思わない、と言う。すなわち、指導者の素人的動きを見て“これなら自分もできる”という安心感と気安さが視聴者を引き付けるのかもしれない。これも“職階のフラット化現象”を示唆している。

スポーツクラブの支配人は、「インストラクターは大学などで専門知識を身に着け運動処方のノウハウを学んでいるのだが、インストラクターが会員の皆さんのトレーニングに介入しようとすると迷惑がったり拒絶したりするので、質問されたことのみに対応するようにしている。すなわち、現在のインストラクターは“安全”を中心に指導するのに留まっている」、と言う。これも指導者と会員の能力を同じとみなす“職階のフラット化”の表れであろう。

職階のフラット化は会員の人が指導者と同じ能力だと考えているのかもしれない。この種の現象はどうもITが普段の生活に浸透するに伴って日常化してきたように思われる。ITに関連する技術の学習能力は子どもが老人よりもはるかに高い。筆者の場合、これまで使っていた携帯のガラケーをスマートフォンに替えたら、操作が判らず近くに住む小学生の孫に教えてもらわなければならなくなった。スマートフォンの操作技術は、孫はいつどこで学んだのか我々老人に比べ優位な立場にある。

かつてスポーツの試合では審判の判定は絶対的であったが、近年、ビデオによる判定が採用されることとなり、テニスでは“チャレンジ制度”が、サッカーでは“ビデオ・アシスタント・レフェリー制度”が、また野球では“リクエスト制度”がそれぞれ採用され、職種や職人のプロ的存在感が薄れつつある。今でこそ、試合を決定する場面に限定されビデオ判定のリクエストの回数も制限されているが、将来その数は増えこそすれ少なくなることはないであろう。

社会がさらにデジタル化することで“職階のフラット化”が一層加速化することで、プロとしての専門的職種に夢がなくなるのではないかと危惧する。