学会活動

ランニング・カフェ

第55話 バックパックの重さと呼吸への影響

山地啓司(初代ランニング学会会長)

子どもにとって小学1年生から始まる通学時のランドセルの重みは耐えなければならない最初の試練であろう。ランドセルの重さは我が国の教育方針によって軽重に変化がある。例えば、“ゆとり教育“から“脱ゆとり教育”に変更した後、通学時の教材は段々重くなりからだの痛みを訴える子どもが多くなったという。欧米ではランドセル(鞄)の重さは体重の10 %以内(小学1年の体重は20㎏程度なので約2㎏)が望ましいとされている。ちなみに、日本では年齢差、地域差、学校差、学級差や曜日などで違いはあるが、重い時は1年生で3~5 kgになる。(読売新聞(2021・6・11)の投書欄に中学1年生の娘のかばんの重さが11 kgあったという)。ランドセルは帯(straps)が胸部を圧迫し、その重さが吸息や呼息時の呼吸筋の仕事を高めることから、気管支喘息などの肺疾患を持っている児童にとっては苦痛となる。特に、冬の冷たい北風が吹く中を急ぎ足で登校するのは肺への負担を強いることになる。文科省は小学児童の身体特性を考慮して「置き勉(強道具)」を推奨しているが、その実態は判らない。

バックパック(リュックサックやナップサックなどを含むが、これ以降バックパックに統一する)の重さが身体に与える影響に関する研究の対象の多くが軍の兵士、木材の運搬者、鉱山労働者、砕石労働者、港湾労働者たちだったが、機械の開発・使用でめっきり減少した。それに代わって近年では、スポーツやレクリェーションの分野でのバックパックを背負う登山やトレイルランニングを対象にした研究が多い。これらの研究の多くは重いバックパックを背負うことによる体幹、骨盤や脊柱を結び付ける腰部や臀部の筋肉群、脚筋などのコア筋群への圧力・捻転・屈伸などによる負担と損傷リスクの高まりを指摘している。しかし、21世紀になってこれまで見逃されてきた体幹部にある呼吸筋への影響に関する研究が始まった。その第一の理由は、呼吸筋が疲労すると反射的に脚筋への血流量が抑制され、脚筋の疲労が促進されることが明らかになったことである。

体幹にある呼吸筋は、吸息の横隔膜、肋間挙筋、外肋間筋、前鋸筋、大胸筋・小胸筋等や、呼息の内肋間筋、腹直筋、腹横筋、外腹斜筋等である。これらの筋肉が腹腔内圧や胸腔内圧の加減(ふいご運動)を合目的的に調整することによって、外界の空気を肺に取り入れたり不要になった空気を排出したりしている。バックパックの帯が肩から胸部を通り腋の下を通過して腰部の所で再びバックパックにつながることから、バックパックが重くなるにつれ帯が肩、胸部や腰部を強く圧迫するようになる。特に胸部への圧迫は呼吸筋の仕事を増加させ、疲労による機能低下を促進する。筆者の調査では、大学生にトレッドミルの速度を4.0 km/hと傾斜角度を15 %に固定して、15 kg、25 kg、35 kgの3種類の重さのバックパックを背負って歩行させると、努力性肺活量(FVC)がそれぞれ3 %、5 %、8 %低下する。他の研究者の報告では1秒量や1秒率の低下等が報告されている。また、オールアウト走(最大酸素摂取量が発現するような数分の運動)では呼息時の腹筋の圧力が約25 %低下する。また、歩行中の呼吸パワーはバックパックを背負わなかった場合に32±4.3 J/minであったが、35 kgのバックパックを背負った時は88±9.0 J/minと負担が大きくなった。従って、バックパックが重くなればなるほど呼吸筋の疲労を促進する。この原因は胸壁のコンプライアンス(ひずみとそれを引き起こす外力との比)の機能低下に伴う胸郭の制限である。その他、バックパックの帯の幅の広さや素材、帯を締める時のきつさ等によっても努力性肺活量や1秒率に疲労が現れる早さが異なることが報告されている。

これまでの研究では、体幹部の筋肉に有意な負担を与え始めるターニングポイントはバックパックの重さが15 kgであるが、これらの研究はシーレベルでの実験から導かれたものである。登山では多くが無整備の凸凹の多い山道や、急峻な坂道や岩場を登ったり下ったり、しかも1,500 m以上の標高からは低酸素による呼吸筋への負担が加わり始め、さらに、1日5~10時間の行程を歩かなければならない。これらの登山の特性を考慮すると、ターニングポイントは15kgよりも軽い水準で現れると想像される。

トレイルランニングなどでは背負う荷物は登山よりも軽いが(<20 kg)、走ることを考慮すると厳しい。ランニングの場合には着地の際に一瞬ではあるが体重の約2倍の負荷が脚部にかかることから、トレイルランニングでは体重+バックパックの2倍の負荷になる。さらに、バックパックが走る度に上下することから、脚部だけでなく胸部への圧迫も大きくなり、気管支周辺の浮腫・水腫や末梢の気道の閉塞などのリスクが高まる。

香港大学のトングはバックパックを背負わなければならないスポーツではコアと呼吸筋のトレーニングを併用して行うことの重要性を指摘している。従って、コアトレーニングをする時は、例えば、上肢の挙上や左右への伸展では吸息を速く、また、下降や屈曲の際は呼息をゆっくりするなど、上肢の動きと呼吸を同期しながら行うとよい。